セカンドベストはなんだ?

最善の策が取れなくても良い。最善を尽くすことがダイジ。

コマーシャリズム・mixi・消えたほうが良いもの

なりたい自分について

なりたい自分の理想像について考えたとき、「ポピュリズム」「コマーシャリズム」といった言葉とは真逆でありたい。
それは、広告的な世界観を乗り越えること。
例えば、この20年で家庭用テレビの性能は飛躍的に向上した。
しかし、CMなど広告の伝えるメッセージは20年前となにも変わっていない。
『画質がきれい』『使いやすい』『おしゃれ』・・・
広告は、そのものの真実を伝えない。部分を誇張し、ありもしない情緒的な価値に変化させてしまう。

『なんとなく、クリスタル』のように、自らの思考を捨て、ビックブラザーの言うままに「ファッション・ブランド」を消費するだけの猿になりたくないのだ。
いや、それがイバラの道であるのは承知している。
『なんとなく、クリスタル』が芥川賞候補にもなり、その作者が長野県知事に当選した事実は、むしろ「消費するだけの猿」こそが現代日本社会で生き易い適応形であることの証左だろう。

2010年代にあって、もはや『なんとなく、クリスタル』は認めざるを得ない。
現代は、60年代学生運動チックに「大衆迎合主義」や「コマーシャリズム」を否定すれば済むほど、簡単な時代ではなくなってしまった。
いま、私たちは「コマーシャリズム」を否定ではなく、いったん受け入れた後に「克服」することを求められている。
それは、麻薬を一度服用してから断つようなもので、並大抵ではない決意が不可欠。

なぜひとはmixiの日記を消したがるのか?

mixiは、コミュニケーションを通じて今までにない価値を生み出し、社会を変えた、という形で紹介されていた気がする。
だけど、じつはちっとも社会を変えてなんかいない。
mixiでオープンにできる交友関係なんて、つまらないものに過ぎない。
ありきたりのつまらない関係をいくら濃くしたところで、意味がない。
むしろ多様性をつぶし、マイノリティーを余計弾圧する結果になっている。

そして、人々はmixiの交友関係を確認するたびに、過去の日記を不適切に感じ、削除する。
ウェブは記録が残るのがメリットだが、世の中には、「消えてしまったほうが良いもの」が確実にある。