長岡鉄男に関する豆知識
長岡鉄男氏についてwikipediaがあんまり充実してなかったので、豆知識的なまとめ。
ミューズの方舟
原点は東京湯島のラックス視聴室でのセミナー。
入場無料でウィスキーやおつまみの出る和気あいあいとしたセミナー。
その後、セミナーは打ち切りになったが、
水道橋でフォステクスのセミナーがあり、参加者が移動。
ところが、フォステクスのセミナーも間もなく打ち切りになってしまった。
そこで長岡氏が有志を集めたのがきっかけ。
会の名称「ミューズの方舟」は当事世間を騒がせた「イエスの方舟」事件から。
マスコミが盲目的に誹謗することに対する反骨心から長岡氏が命名。
会の方針は、ピュアオーディオ派も、AV派も、アンチ長岡派も、来る者拒まずのノンポリ。
当事のオーディオマニアのクラブは、宗教的に特定の製品を盲信することが多かった。
サークルの運営資金は長岡氏が協力。
メーカーや雑誌のサンプル提供のカートリッジ等を
ミューズの方舟のオークションに出品し、運営資金にしていた。
長岡鉄男の略歴
1950年頃から一口コントの作家に。
NHK「日曜娯楽版」や日本テレビ「底抜け脱線ゲーム」、フジテレビ「グリコ ドキドキ運動会」などに関わる。
スピーカーを買ったのは1951年頃。
コント作家として収入を得られるようになり、秋葉原のラジオ屋街に出入るするように。
オーディオに関係する仕事を始めたのは1958年。
当事はステレオを持っているだけで希少だった。
本格的にオーディオに目覚めるのは1960年。
瀬川冬樹の文章にイラストをつけたこともあった。
60年代からオーディオ雑誌が創刊され、オーディオ評論家として引っ張りだこに。
メーカーや販売店主催のセミナーも多く、日本中を飛び回った。
電気と音響の知識があり、音楽に興味が有り、文才もある。
そんなオーディオ評論家が希少な時代だった。
評論家のコメントが与える影響も強かった。
メーカーもそれを利用し、評論家に盛んに試作品を提供していた。
放送作家として、「頭のトレーニング」、「クイズに強くなる本」、「頭の特訓驚室」などクイズ関係の本も執筆している。
とみおか鉄瓶のペンネームを使っていたこともある。
ブックレビュー
ショートコントの古い原稿やインタビューなど貴重な記事も満載。
アナログ機器については技術的なウンチク満載だが、
デジタル機器になるとカタログ紹介の要素が強くなる。