セカンドベストはなんだ?

最善の策が取れなくても良い。最善を尽くすことがダイジ。

五味康祐のオーディオ評論を読む。その2

女とオーディオ

「涙とともにパンを食べたものでなければ、人生の味は分からない」 ゲーテ
五味康祐のオーディオ評論の根本には、このゲーテの格言に通じるものがある。
五味康祐「オーディオ巡礼」は、オーディオ評論の形式をとった、いわば私小説なのだ。
五味康祐が自身の女性関係を告白し、その記憶がアンカーとなり、
「特定のレコードを鑑賞すると筆舌に尽くしがたいペーソスを感じるのだ」という形式のエピソードに本書の醍醐味がある。

五味康祐が愛したタンノイ オートグラフはもはや廃盤。
レコード時代のアンプやカートリッジをウンヌンしても、懐古趣味にしかならない。
ただ、「人」を主軸に置いたエピソードの魅力は普遍だ。

「微に入り、細に入り」なオーディオ批評が多い昨今、
「なるほど、こんなオーディオの語り方があったのか!」と、
かえって斬新に感じたので、その一部をご紹介したい。

五味康祐オーディオ巡礼 (SS選書)
五味 康祐
ステレオサウンド
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名曲喫茶のお嬢さん

忙しい人のための要約

ウェイトレス目当てで、とある喫茶店の常連になり、なんども聞いた楽曲の思い出。

 フランクのソナタは、言う迄もなく名曲である。LP初期のころ、フランチェスカッティとカサドジュのこのイ長調のソナタを聴きに、神保町の名曲喫茶へよく私は行った。昭和二十七年の秋だった。・・・そこの喫茶店のお嬢さんがカウンターにいて、こちらの顔を見るとフランクのソナタを掛けてくれたから、幾度か、リクエストしたのだろう。
・・・
最近、復刻盤でティボーとコルトーによる同じフランクのソナタを聴き直した。LPの、フランチェスカッティとカサドジュは名演奏だと思っていたが、ティボーを聴くと、まるで格調の高さが違う。流麗さが違う。・・・他人にだからどの盤を選びますかと問われれば、「そりゃティボーさ」と他所ゆきの顔で答えるだろう。しかし私自身が、二枚のどちらを本当に残すかと訊かれたら、文句なくフランチェスカッティ盤を取る。それがレコードの愛し方というものだろうと思う。忘れもしない、レコード番号=コロムビアML四一七八。――白状するが”名曲喫茶”のお嬢さんは美貌だった。彼女の面影はフランチェスカッティ盤に残っている。それへ私の心の傷あとが重なる。二十年前だ。二十年前の、私という無名な文学青年の人生が其処では鳴っているのである。これは、このソナタがフランク六十何歳かの作品であり、親友イザイエの結婚に際し祝いとして贈られた、などということより私にとって大切なものだ。
(フランク《ヴァイオリン・ソナタ》より)

感想

音楽性が低くても、思い出の曲はついついヘビロテしちゃうよね。

サークルの知り合い

忙しい人のための要約

社会人サークルで知り合った女性とちょいエロ公園デート

 曲は、解説するまでもないとおもうが、シューベルト独自の旋律美にあふれていて、アンダンティーノの部分では抒情味ゆたかな主題は、青春がどんなものかをわれわれに想起させてくれる。聴きながら私は――ようやく三十代になったばかりだったが――妻以外の或るひとのことを曲趣の展開につれ、しきりに追いもとめていた。
 その人は女流ピアニストの卵で、当時まだ二度しか私は逢ったことがなかった。閨秀歌人の歌会で会った。短歌という、至って古めかしいところで、しかも自作の歌を和服姿で携えて来た二十代のそんな女性が、まさか、ラモーやスカルラッティを好んで弾く人とは思いも寄らず、合評会で彼女の習作をこっぴどく批評したのをおぼえている。歌会のあと、偶然、帰る電車が一緒になった。「先程は有難うございました」彼女はわざわざ私の座席に来て礼を言った。皮肉ではなく、ニコニコ明るい笑顔である。私の方が狼狽した。こちらは無名の文学青年であり、実は、住む家もなく東京近郊の木賃宿を朝食付き五百円あまりで、泊り歩いていたのだ。陰鬱で、みすぼらしい男なのは誰よりも私が一番よく知っていたし、彼女はあきらかに良家のお嬢さんだったから、笑顔の、歯ならびの白い綺麗な口もとが私にはまぶしかった。私は「どうも」と、ただ頭をさげた。こういう時は余計、むっつりと不機嫌になるのが私の悪い癖である。
「どちらまでいらっしゃいますか?」
 彼女は訊く。隣りの座席が空いていた。あてはない、と私は言った。私はとにかく新宿までの切符を買っていた。彼女が前に立って去ろうとしないので、窓ぎわのほうへ席をゆずった。彼女は並んで腰掛けた。いろいろなことを話した。鋭い批評でしたと彼女は言った。とても嬉しゅうございましたと。こちらは苦笑いするばかりだ。でも、そんな彼女がピアノを勉強していること、フォーレの夜想曲が好きだと聞いて、たちまち私は気むづかしい文学青年から音楽好きな男に変った。私は譜は読めない。そういう意味ではシロウトで、彼女は専門家である。おのずと敬虔になり、色々なことを私はたずねた。あっという間に新宿に着いてしまった。彼女は荻窪まで帰るのだと言い、電車の中で私たちは別れた。
 翌月の歌会に、あきらかに彼女との再会をねがって私は出席した。彼女はこの日はスーツを着ていて、バストのふくらみが隆く、別人みたいに成熟した”女”の感じがあった。大阪の実家に妻をかえし、孤独な流浪生活をつづけていたこの頃の私に、彼女のバストの強烈な印象を責めるのは、酷だろう。
 帰途も一緒の電車に乗った。車中では歌会の伴が彼女にはあって、ほとんど話す機会がなかった。新宿で彼女の友達は降りた。私は車内に残っていた。三十男の厚かましさで、ひそかに荻窪までの切符を買ってあったのだ。新宿で降りない私を、ところが、彼女は少しも怪しむ様子がなく、むしろ当然なことのようにそばにやって来て、私と並んで坐った。まるで恋人同士でしめし合わせたような、そんな歓喜が胸に奔きあがったのを私は忘れない。
「どちらまで?」
 と、この日も彼女はきいた。貴女はどうしますかと私はたずね返した。彼女は小首をかしげ、しばらく考えて、夜の十時が門限なのでそれまでならご一緒しますと言った。歓喜が再び胸をつらぬくのを私はおぼえた。吉祥寺で私たちは降りた。夜の井之頭公園を散歩した。
 私には、妻がある。私は無名の貧しい男で、東京に住む処もないそんな事情は彼女は女流歌人から聞いていたとおもう。おもにベートーヴェンのピアノ・ソナタの話をした。彼女はモーツァルトの”幻想曲”K三九七のことを話した。はずかしいが私はその曲をまだ知らなかった。どんどん時間がたち、彼女が腕時計を見たときに、暗い公園の樹影に私たちはいたが、突然、背広の前ボタンを私ははずし、あなたもスーツのその胸をひらいてほしい、と私は言った。私は腕時計など勿論、もっていず、その背広も実は友人の借り物だった。歌会で彼女に逢えるのを想って精一杯、私はめかしこんでいたのだ。
 胸をひらく、というこちらの希望の意味がわからないのだろう、彼女は自分にはまだそういう経験――男女の交際の経験がないと言った。私は肯かなかった。彼女のスーツの衿をおし開けるようにして、白いブラウスの上から、こちらもYシャツの胸を押っつけた。彼女はにげようとしなかった。私には妻がある、という古い倫理感は私のような男の中から消えるものではない。そういう戦前のモラルにわれわれは育ってきた。私はけっして彼女を抱くことをしなかった。ただ豊満な乳房に、こちらの胸板をあてがい、豊満さに随喜したのだ。彼女は小きざみにふるえていたとおもう。十月末ごろだったともおもう。牟礼の近くで、たしか、武者小路実篤氏の邸の付近だったとおもう。間もなく私たちは駅に引きかえした。そこで彼女はプラットホームへ階段を昇って行くのを、改札口の外で私は見送った。私のほうはそれから、三鷹まで歩いて、駅前のマーケットに近い、生前の太宰治氏といちど飲んだことのある飲み屋の二階に、泊めてもらった。
 翌月の歌会には彼女はあらわれなかった。次のときは私のほうで行けなかった。それきり、女流歌人のその結社は解散され、もう彼女に逢うことはできなかった。
 私の放浪生活は、その頃にはもう有り金を使い果たし、上野の地下道で新聞紙を敷いて眠るルンペン生活に堕ちていた。そんな私が、ふとした機縁でS氏の厚遇に救われ、世に出ることができたわけだ。そういう意味でこれは”二羽の鳩”以前の不遇時代の話である。見方によっては大変きたない、不燃焼な愛欲――三十男のうすぎたない愛欲の断片である。
 シューベルトの”幻想曲”を聴くと、だが、それがたとえようもなく甘美で清らかな彼女への想い出に変わる。彼女への愛を行動できなかった臆病な男は、結局、臆病ではなく誠実のゆえに手を出せなかった、(そうだろう? 彼女はきみを誠実にせずにはおかない、そういう人だったのだろう?)とシューベルトの調べは語りかけてくる。つづまるところきたない思い出は作品一五九の”幻想曲”で浄化されている。音楽は、現在のみか過去まで浄めてくれるのだ。
・・・過去を浄化された一人の男が、空腹をかかえ、この曲を聴く機会があるかぎり今後も又どこかであの人に逢えるだろうとおもいつづけた、そんなねがいが何に由来していたかを、”ピアノとヴァイオリンのための幻想曲”を聴いた人なら察してもらえようとおもう。
(シューベルト《幻想曲》作品一五九より)

感想

クラシックが失恋ソングってお洒落ね。

昔の恋人と不倫

忙しい人のための要約

元カノとワンナイトラブしたら、元カノが妊娠しちゃってビビった。

アンドレ・メサジェの”二羽の鳩”Les Deux Pigeons となると事情は更に私的となる。
・・・そこで或る女性にめぐり逢った。妻と結婚する以前、私の愛しつづけたひとである。しかし彼女は私を拒みつづけ、その頃もう人妻になっていた。・・・彼女の結婚がうまくいっていないらしいことを、言葉のはしばしで私は想像した。しかし彼女自身はそれに就いては何も語らなかった。淋しいわ、と言っただけだ。昔愛した男に、人妻となって、淋しいと洩らす。どんな懐いがこめられているかは、小説家なら考える。私は妻を裏切ったことはない。結婚して四年、ようやくこうもり傘を買ってやれる窮乏生活に、妻を耐えさせて来た。裏切ることは私にはできなかった。しかし妻を知る以前から、京都のその女性を私は愛しつづけた。終戦後の魂の荒廃の中で復員兵の私を支えてくれたのは、その人への憧憬である。すさんだ私の心は、どれほど、彼女の美しさで洗われたろう。自分に都合のいいようにしか人間、物事を考えぬものだと今なら言えるが、その時はもう胸がいっぱいであった。いつの間にか私たちは今出川まで歩いていた。疲れたのでお茶をのみに入った。そこで、”二羽の鳩”を聴いたのである。
 ・・・そして何気なしに彼女と視線が合った。目を見合わしたこの時に、”二羽の鳩”は私の内で、がらりと音楽を変容していた。題名の二羽は、私と彼女を意味しはじめたのである。私たちが二羽の鳩になった。アンドレ・メサジェがどんな意図でこの題をつけたか知らない。そんなことはどうでもいい。この夜、私は彼女と結ばれることになった。これは運命だろう。強引に、私が求めた為にきまっているが、彼女が肯ったのはこちらの想像外の仔細によるかも知れなかったが、とにかく、私は人妻である彼女の体を抱いた。
 なにも小説を書いているのではない。夜が更けて、彼女は家路についた。送りたいと私は言ったが彼女は送らせてくれなかった。
・・・ひめやかな背信は、これでENDになっても”二羽の鳩”は私の中に活きつづける。そこには妻以外の女性との、もう一つの私の人生があるはずだ。音楽は私にそれを取戻させる。現実は、併しもう少し過酷にできていた。一年余りして、彼女との共通の友人を通じ、私は彼女の住居を知ることが出来た。私は彼女を訪ねた。其処にはおしめが干されていた。結婚以来五年間、彼女には子供がなかった。私達夫婦にもなかった。彼女は私の子供を産んでいたのである。これが人生なのか。鳩は血みどろになった。そして別々になってしまった。
 ――こんな聴き方は、重ねて言うが邪道にきまっている。だが、邪道だろうと私のこれは人生に起きた出来事であり、”二羽の鳩”のこれ以外のどんな聴き方が私に出来るだろう。人は、それぞれの再生装置で好みの曲を掛けて、結局は自分の一生を鳴らしている。曲を通じておのれの人生を聴いている。人生をよくするために、せめて音を良くしているのがオーディオ・マニアだろうとおもう。切ない話だ。今更あらためようのないものを、せめて、聴覚の体験であらためようとしているのだから。そういう悔いを知っているのが本当のオーディオ愛好家だと、近頃私は思うようになっている。
(フランク《ヴァイオリン・ソナタ》より)

感想

喫茶店で流れていたのが「二羽の鳩」でも「だんご三兄弟」でも、結局不倫してる気がする。

女子大生と不倫

忙しい人のための要約

離婚して、女子大生と結婚しようとしたけど、やっぱり奥さんを選ぶ。その後、女子大生は自殺。

ある女子大生と親しくなり、急速にこの親交は深まって、妻への背信に悩む日がつづいた。
・・・人生には道理どおりには割り切れぬ矛盾したものがある。考えを突き詰めれば一そうこの矛盾に逢着するが、そういう時、人間は解決のしようのないその事に当面して、もはや回避するか、当って砕けるしか生きようはない。当って砕けてゆくその胡麻化しのない態度を、劇的というのだと教えてくれた人があった。私はそういう胡麻化しのない態度を自分の生き方につらぬくつもりだと言った。京都の人に対する心構えで言ったのだが、結果的には、二十一になるその女子大生への私の立場を意味することになったのだから、世の中は分らない。
 妙な言い方をしたが、要するに私は彼女への責任を取ろうとし、妻を実家へ帰した。彼女をS氏や他の知人に引き合わせ、結婚するかも知れないと言った。むろん彼女の両親にも会った。今から想うと私は一人角力を取っていたようだ。彼女はまるで《遊び》で私との関係を考えていたらしいから。したがって、次第に本気で彼女が私との結びつきを考えるようになったのは、私にそれこそ、責任があると言わねばならない。今はこれ以上くわしいことには触れないが、要するに最後には私は旧の妻をえらび、彼女の両親は慰謝料を請求した。それを知って彼女は山中湖に投身して死んだ。
”ダフニスとクローエ”第二組曲の冒頭に日の出の旋律がある。弱音器つきの弦の持続音がしっとり朝靄のたちこめる森の曙を描写するが、この奏べを聴くと彼女のことを想起せずにいられない。いろいろなことがあった。彼女について綺麗ごとばかりを私は書いてきたが、人間、いかに多感でも尋常のことで入水などするわけはない。湖に身を投げるにはそれだけの理由があり、理由の大半は私のもたらしたものだ。こう言っていいなら私は彼女との生活よりは音楽を聴ける生活を取った。彼女より音をえらんだ。これまたそれだけの理由が私にはあってのことだが、彼女を突き放したのは箱根に一泊していた時に、羊飼いの息子ダフニスと牛飼いのドルコンがクローエを獲ようと争って踊る話をしながら実は、彼女を傷つける言葉を吐いたのが原因していたと、後になって思い当った。彼女はバレー組曲”ダフニスとクローエ”の音楽は知らなかった。ニンフにまつわるギリシャ神話の方しか知らなかった。私は碌に神話のことは知らなかった。音楽の、それも誰の指揮による演奏を採るかを言っただけであった。クリュイタンス、アンセルメトスカニーニのそれぞれが、クローエを誘惑しようとするリセニオンの踊りの場面をどんな風に演奏しているか、どうしてだろう、それを、むきになって彼女に説明した。彼女は羊飼いの娘クローエであっても私はダフニスではない。むしろリセニオンの方だ。神話では海賊に掠奪されたクローエも結局はダフニスのもとに戻るが、この私は、ついに彼女を傷つけ、死なせてしまった。勿論私も傷ついたし妻はもっと深い痛手を負ったろう。神話のことを話しているのではない。音楽をいい音で聴くためにどれほどの血を流してきたかを、私は書いている。説明は必要ないとおもう。聴いてほしい。フランクの前奏曲と、次に”ダフニスとクローエ”第二組曲冒頭を聴いてほしい。どんな説明よりもこの二曲にまたがった私なりな青春と、中年男の愛欲とその醜さを如何に音楽は浄化してくれたかを、跡をなぞるごとくに知ってもらえようと思う。少なくとも水準以上の音質を出す再生装置でなら、分るはずだ。自らは血を流さずとも、血を流した男の愛の履歴が眼前に彷彿する、それが音楽を聴くという行為の意義ではないのか。装置をグレードアップするとは、つまりはそんな再現を容易ならしめることではあるまいか。
(フランク《前奏曲 フーガと変奏曲》作品十八より)

感想

いっそ村上春樹風の小説できそうな謎エピソード。