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五味康祐のオーディオ評論を読む。

オーディオとオカルト

ピュアオーディオ」と呼ばれるハイエンドを極めたオーディオの世界になると、超科学的な、オカルトじみた言説が多い。*1
例えば「電力会社によって音質が変わる」という2ちゃんねるの有名なコピペは、そんなピュアオーディオ界隈の奇習を軽妙におちょくっている。

ところで、ピュアオーディオの極端な音質追求はいつごろから始まったのか?
調べてみると、五味康祐という小説家がその道のパイオニアらしい。
五味康祐芥川賞を受賞したものの、のちに大衆文学に転向する。
いうなれば、綿矢りさのはしり。

今日は戦後のオーディオ評論に多大な影響を与えた五味康祐のエッセイ集「オーディオ巡礼」を紹介したい。
いま読んでもまったく色あせることのない傑作だ。
否、たしかに部分的にはまったく時代錯誤な著述もある。
しかしかえって、さながら骨董品のように往事の時代背景・思想が垣間見えてくるのだ。

この本には「時代によって変化してしまうオーディオ探求の哀愁」と、
「変わることのないオーディオ鑑賞の楽しみ」という2つの魅力が詰まっている。

五味康祐オーディオ巡礼 (SS選書)
五味 康祐
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生い立ち

五味康祐氏は少年の頃から筋金入りのオーディオマニアだった。
そもそもオーディオは戦前は限られた富裕層の趣味であったから、オーディオ・マニアの元祖といって差し支えないだろう。

しかし敗戦(終戦)のショックからオーディオへの関心を失い、ニートになる。
1951年、S氏こと新潮社のカリスマ編集者 斎藤十一と出会い、
そこでLPレコードを聞き、オーディオへの情熱が再燃。
レコードを買うために小説を書きはじめる。
1953年、芥川賞受賞。
けれど受賞後もスランプが続き、生活はいぜん厳しい。
ギャンブルで儲けた金でレコードを買ってしまうか悩んだ末、
純文学をあきらめて、ウケ狙いの大衆文学に転向することを決意。
結果、成功をおさめ、売れっ子作家になる。

文学史的には、本来は純文学の賞である芥川賞作家が大衆文学に転向したさきがけであった。
とはいえ、芥川賞受賞作「喪神」にしても、大衆文学転向後の剣豪小説にしても、今となっては世間の評価は高くない。意地悪な言い方をしてしまえば、「忘れ去られた流行作家」の一人に過ぎない。
ますます綿矢りさと印象が被ってしまう・・・
いろ暦四十八手 (文春文庫)

インストール

しかし、である。
オーディオの世界からすると、五味康祐は文系オーディオ評論のパイオニアであり、
いまだ輝きを失わないスーパースターなのだ。
なぜなら、五味康祐の生い立ちや屈折した人生経験がオーディオ評論からにじみ、唯一無二の魅力となっている。

私は興行師の家に育った。歌舞伎役者や地方廻りの芸人が何人も居候していた。
・・・私はその頃五つぐらいだったが二階にいて、下から聞こえる三味線の音をきいて、今度のはいいとかわるいとか判定をする。するとそれが意外に的中するらしく、祖父母は、「お前は耳がいい」と褒めてくれる。そこで自分もその気になって、ぼくの耳はよいのだと思い込むようになった。これが私の、そもそもゴウのはじまりかと今はおもう。人間の音への感性は多分に幼時の環境に培われるように思うが、西洋人とてこれは例外ではないだろう。ピアノやヴァイオリンやチェロを幼い頃から耳にして育った彼らの音感がどんなものかは、みずからを省みて想像に難くない。その彼らが識別して、良しとした音は、オッシログラフを頼りに日本の技術者がつくり出す音より、どこか芸術的にすぐれているのは、ピアノのスタンウェイやベーゼンドルファーが日本ではまだつくれないのを見ても瞭然だろう。何サイクルから再生出来て、ひずみが何%である、などといくら力んでみても測定だけではどうにもならぬのが音楽ではないのか。
 私が音に関心を持って蓄音機を聞きはじめたのは、中学三年生頃であった。その頃は、今日とはちがって蓄音機を聴くというのはぜいたくなことで、相当ハイクラスの人にかぎられていた。いわゆるお坊っちゃんか、それに準ずる人たちだったようにおもう。しかしそういう人達もただ蓄音機を持っているというだけで、その音質をとやかくいう人は、ほとんどいなかった。しかしこちらは幼い時からの習性で、あそこの蓄音機よりこの方がよい、などと一応、音質のよしあしを聞き分けた。今なら音のよしあしに関心を示すのは、オーディオ・マニアでなくとも普通のことだろうが、当時としては、これがすでにキ印に近い言動だったわけで、これも三味線や音曲の中で育った、環境のなせる業だろうと思っている。

「オーディオ巡礼」 オーディオと人生

 くり返し書いて来たように、当時の私は貧乏だった。比較的めぐまれた家庭に育ったが、文学青年になり、放浪し、出征し、復員し、結婚し又、放浪した。私はルンペン状態のときS氏に拾われた。
・・・
 しかし私は意欲の湧きおこるのをおぼえた。やってみようと思った。私は怠け者だ、でも随分もう怠けつづけて来た。この辺で出直してもいいはずだと自分に吩いきかせたのだ。妻を安穏な生活においてやりたいとか、文学で世に出たいといったふうにではなくて、ただ英国製のスピーカー(グッドマンが自分のものになるなら天にも昇る心地がするだろうと、その頃の私は空想していた)をガラードのプレーヤーで英国盤のレコードを鳴らし、静かに聴き耽る生活を、私にもてぬ道理があろうかと、考えたのだ。
 出直してみよう、私は自分に言ったのをおぼえている。勉強し直そう、勤勉な人間になろう、と。
『新潮』に私の書いたものが初めて載せられたのはこの二月後であった。三十枚の短篇で、三日間で書いた。これが倖い芥川賞を受けて私は作家の仲間入りをすることができた。そういう意味で、ヘンデルのこの”ヴァイオリン・ソナタ第六番”は私を世に出してくれたということが出来るが、じつは《英国製の音》への憧憬がもたらしてくれたものだ。
 私は言うことができる。いい音楽を聴く歓びを知らなかったら、オーディオへの関心がなかったら、私の今日は無かったろう。

「オーディオ巡礼」 ヘンデル《ヴァイオリン・ソナタ》

その気になったら芥川賞がとれてしまうのだからすごい。
それと、オーディオ機器にそれだけ強い魅力があったというのも、この時代ならでは。

 白状すると、マージャンでレコード代を浮かそうと迷ったことがある。
・・・いちど、とうとうお金ほしさに徹夜マージャンをした。数万円が私の儲けになった。これでカートリッジとレコードが買える、そう思ったとき、こんな金でレコードを買うくらいなら、今までぼくは何を耐えてきたのか……男泣きしたいほど自分が哀れで、居堪れなくなった。音楽は私の場合何らかの倫理感と結びつく芸術である。私は自分のいやらしいところを随分知っている。それを音楽で浄化される。苦悩の日々、失意の日々、だからこそ私はスピーカーの前に坐り、うなだれ、涙をこぼしてバッハやベートーヴェンを聴いた。・・・こんな金はドブへ捨てろと思った。その日一日、映画を観、夜になると新宿を飲み歩いて泥酔して、ボロ布のような元の無一文になって私は家に帰った。編集者の要求する原稿を書こうという気になったのは、この晩である。

「オーディオ巡礼」 芥川賞の時計

参考

電源コードを変えると音が変わるのはピュア界では常識です。
私は発電所から専用線で我が家まで電力を引っ張り込んでいます。
電線の材質は無酸素銅が最高ですよ。
おかげで、ウチはミニコンですが、ハイエンドよりいい音がしますよ。

ちなみに電力会社の違いでも味付けにサがでるよ。

電力会社     長所      短所   お奨め度

                                                                                                                                                              • -

東京電力     バランス   モッサリ遅い    C
中部電力    低域量感   低域強すぎ   A+
関西電力    高域ヌケ   特徴薄い    B
中国電力    透明感     低域薄い    B+
北陸電力    ウェットな艶   低域薄い     A-
東北電力    密度とSN   低域薄い    A+
四国電力  色彩感と温度   低域薄い    A
九州電力     バランス   距離感      C
北海道電力   低域品質   音場狭い     B-
沖縄電力    中高域艶   モッサリ遅い     A

で、上は発電所から5Km地点での特徴。
それより自宅~発電所間の距離が長いと上記特徴+マイルドの味付け
短いと上記特徴+刺激的な味付けが加わるよ。

*1:オーディオに限らず趣味全般そうだけど。