セカンドベストはなんだ?

最善の策が取れなくても良い。最善を尽くすことがダイジ。

矢立のはじめ

今年こそはアウトプットの年にしたい。
だからブログを書く。シンプルでいいじゃねぇの。

今年の年末年始は大掃除に終始。断捨離につぐ、断捨離で、積年のほこりを払っていた。
そうやって掃除をして、過去の思い入れを捨てることで、何かみえてくるような気がしたんだ。
あ、そうそう。今は先が見えない状態に居るんだ。そもそもの話。

気づいたのは、こうやって寝て食って垂れているだけで、人生は肯定されるべきものであるということ。
この世の春を謳歌するような生き方だけが人生じゃないってことよ。
だがしかーし、ワタクシ欲があり、どうせ生きるんなら、少しでも意義深いことをしたいと願うわけだ。
となってくると難しい。学生だったころは、それなりに部活や授業やらに勤しんでいればよかった。だけどまったく自由となると難しいもんなんだよ。
何を贅沢な世迷いごとを、と世人はおっしゃるかもしれない。
まあ、待て。モラトリアムと一蹴してしまうには惜しい大切な教訓が奥底に眠っているんだ。
なにせ、「自由の刑に処せられている」とサルトルがいったが、あれはフランス流の屁みたいな世迷い言に聞こえるが、実は人生の真理を一面で表している。ただ、やるべきことに追われる忙しい現代人は、その意味を感じることができないでいるってこと。もったいないね、こりゃ。

「自由の刑」に気づいたとして、では何をすればいいのか?
それがなかなかわからない。とりあえず、身辺を整理したのが、この年末年始なのでした、というお話。